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第1回イエナプラン教育全国大会@名古屋 [オランダ教育]

第1回イエナプラン教育全国大会で名古屋に行ってきました。(写真は有志の打ち上げ)
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会の終わりに共有させていただきましたが、この半年ほどFacebookから離れていました。そして今日改めてこれまでの活動や自分自身を振り返って、SNS活動やイエナカフェ蒲田の再開、その他イエナプラン教育に関する自分が出来ることを再開していきたいと心を新たにしました。

忙しさを受け入れつつ否定しつつ、それでも出来ることをやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。
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ちなみに、イエナプラン教育の周辺に関する情報を集めているホームページ、教育工房おくむらも更新を再開していきたいと思います。こちらもよろしくお願いいたします。
http://kyouiku-koubou.jimdo.com/?mobile=1

第8回イエナプラン教育 スカイプ学習会 [オランダ教育]

赤字:ひとまずの結論・推量
青字:問い
緑字:感情・興味深い

該当ページ
第2章 P114−P119


初版と3班で学級の対象人数などが変わっていた。
時代背景から加筆や補筆が多いイメージ

日本語訳、読みにくい
読みにくさあった?

日本の学校のイメージと重ねて具体的にイメージするように読んだが、今のイエナ(オランダ)と若干違うところもあるだろう。

分かりにくさはここかな


実践者でもあるけれど、研究視点で書かれているなぁ

この視点で見るとこういう書き方になるのかな。


ペーターセンがこの本を書くことによって、教育界に何を訴えたかったのか

そういう風に思って読むとすんなり行けた。



現場レベルで考えると少し難しい気がする。

翻訳したものだから読みにくい?

何が言いたいんだ、ってなった。

文としてわからないものもあった。

学級のグループの人数など、具体的に書かれている 2章


ペーターセン自身が頭良くて、読む側に要求するものも高い

哲学の要素も含んでいる

生半可に読めない。2章は実践に基づいているから読みやすいかも

1章は哲学が源流のイメージ

1章は時代背景がないと厳しいよねとなった。

精神的なエリート性を求められている気がする

ある意味でそれを般化する形でやっていったのがオランダではないだろうか



夏にオランダへ行った時に、割と柔軟性があるなぁというイメージ。実態に応じて、工夫されていた。

オランダはそもそも実践で使えなければ意味がない、という感じがあるかも
新たに言語化していったのでは。


なんでドイツで生まれたのに、オランダのほうが有名なのか。と質問を受けた。

抑圧されつつも細々とイエナ校はあったが、ペーターセンの死後、少し廃れていった。

東ドイツで危険視されて潰されていったとの見方も。
西ドイツだったら別の可能性があったのでは。論文で見た気がする。

オランダで広まったのは法律のおかげもあるだろう。
条件が揃っていた。普及に尽力をする人もいた。憲法23条
新しい教育が発展しやすい土壌があり、今でも新教育はオランダに持ち込まれることがある。
例えば、スティーブジョブススクールも。

ドイツのイエナプランとオランダのイエナプランを比較してみたい。

異年齢が、2学年や4学年だったりするものもあった。

YouTubeではドイツのイエナプランのものがある

他にも「Jenaplan Schule」で検索すればある。


グループは6人が通例で、かなり多くの場合3.4名の集団
上級集団、中級集団、下級集団
学級規模については日本と重なってくるのかな。

授業時間に関して、実験6歳児の最長の遊び時間は96分など様々な実験が行われている。
日本の学校も場所によっては90分を一組でやっていたり、45分と5分でやっているところもある
学術的なものを背景に持つと現場に活かせるなと思った。

大学の時間も90分が一区切り。
集中力がそう。それに基づいている

実験についてはあまり書かれていない。
これについてはペーターセン本人の論文を読むしかないだろう。
玉川大学の佐久間先生とかはその辺り詳しいかもしれない。

オランダのJASの先生たちも精通している。以前の研修で歴史と理論に触れていた。


▼真の活動の自由

「活動の自由 真の活動の自由!すなわち、それは児童たちが部屋の中でも学校の中でも自由に活動することである。すべての児童がまったく自由に出入りし、集団に対して自己の自由の責任を負っているのである。活動は成長しつつある児童の体の栄養であり、それを束縛することは児童の健康に対する犯罪である。」引用

主観的に考えると、自由の中で身につけていくことが多々ある。 制約の中で自由を獲得していくという考えもあるが、ある程度身の安全や安心が保障された中で、選択できるということが個人的には嬉しい。栄養になると思う。 束縛に関しては慣れてしまっているのもあるかもしれないが、それがない状態では現状は犯罪的なのかな。

抑圧されたことに慣れた状態で、社会に出た感覚を思い出すと、先が見えずに辛かった。 その時は他に考えようがなかったからしょうがないと思っていた。 今考えれば、社会がそうなっているからと考えればそうなのしれないが。。 いい意味での自由というのは保障されていってもいいのかなと。


民主主義社会の矛盾の話と重なる

民主主義は本来自由だが、学校というシステムがあって、ある一定の価値観に縛られることによって、自由であるはずなのに自由に生きられなくなっている

他者の自由があるからではなく、システムがあるから、と捉えている

自己の自由が保障されるからこそ、他者の自由も保障される。
そんな中で社会の中で折り合っていくという考えがしっくりくる

システムはシステム

公共の福祉という感じというよりは、言葉で言うと苫野さんが言うような自由の相互承認

限定された環境でやっていくのは難しい。
教師が生徒たち同士が人間関係を作っていけるような支援をできれば、そんな中で色々なものをやっていけるのかなと。

それは言葉としてあるというのは重要だなと。

▼具体例
数週間前に小学校で、支援級の生徒が暴れて怒られている
その子はなんとなく私に懐いている
その子は自由を訴えていた
その子には他の子よりも自由を与えられていた
みんなが使うストーブを壊した
先生たちのお説教に違和感
その子も腑に落ちていない表情
みんなのお金で買った物 もっとも
しかし、腑に落ちていない
その子を自由の視点から考えると、自由を主張をしていた。
一個だけ忘れていることがあるよ
自由を保大事にされたいことはわかる、でも他のお友達の自由も大事ではないかな
今回のストーブを壊すことによって他の人の自由も大切
君の自由と同じだけ他の人の自由も大切だと思うけれど、どう思う。
以降落ち着いたとの報告を受けた

これからは色々な意味で自由が氾濫、乱用されていく時代になるだろう。
その中で自由のあり方考え方が大切。小学生でも理解できるはず。
自分が楽しくやるためにはお友達がどんな状態
自分だけ楽しければ本当にいいのかな
みんなわかっている
けど知らないとか、言葉として表せない

そういうところが課題であり、成長に必要だと思う

起こった現象だけになってしまう。
振り返らせて言語化させていくことが大事。
教育学的な視点がない。
教科教育に関しての教育学的視点はあっても、生徒指導について、現場レベルではどうなんだろう。

わかっているようで、精神論や根性論に集約されてしまう。
それがその人が体現しているのであれば別だが、そうじゃないから子供は混乱するし荒れる

大人の現場でそういう人がいたら荒れる。ふざけんなあいつとなるだろう。子供も同じ。

むしろそうやって片付けられてしまうのはなんでだろう、というところを考えていくのが大事かな


子供が納得するというのは時間がかかること。じっくり向き合っていくことが大切。
ただ、現場的に一人の子に時間をかけていられない

子供を納得させるという視点だから辛い
それを先生たちが受け持つという考えが厳しい気がする
イエナや岩瀬先生の実践では集団の力やサークル
先生たちのアプローチは教育学的な環境を整えてあげること、あとは子供達が動いていけるようにサポートやファシリテーションするのがいいのかな

先生たちは基本的に真面目な人が多いから、自分で解決しよう、ではなく、その辺りを子供達に返していくような環境づくりが必要なのかな
仕組みが必要。 そのためにはコンセプトや技術が必要

個人のレベルでできる先生がいたとしても、学校のレベルでしていかないと。
敷居を上げちゃうのではなく。
実際日本のシステムも悪くはない。先生たちが生き生きと働いていければ今のシステムでもやっていけるだろう。


質を高める。
先生たちもやりがいを持っていけるようにするには、自分たちのイエナの経験を少しずつ出していく、先生たちにも押し付けではなく、小出しにする。

教師の学びを高めていく。

学校では先生たち同士が学び合うというのはあるのか

どうしても義務的になりがち。割りあてできたものをやるか
せっかくやってきても、次の年で終わってしまう

それが日常にいきていくのか お祭り的に終わってしまうのか

均一化していくための現行のシステム。
いいものも悪いものも続いていかない

どうせやるならその中で変えていきたい。

公立の小学校でも提案されていることはある。

そうやっていくのがいいだろう。


次回は3月4日(金)朝 8:10-9:00

読む場所は、3章AのところBの前まで

第7回Skypeイエナプラン教育学習会 [オランダ教育]

読書会としての内容は次回に回ります。

赤字:ひとまずの結論・推量
青字:問い
緑字:感情・興味深い


▼チェックイン
この記事にある甲斐崎さんのクラス見学

AERA 2016年 2/1 号 [雑誌]

AERA 2016年 2/1 号 [雑誌]

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2016/01/25
  • メディア: 雑誌


全校が対象だったけれど、取材もあってかかなりたくさんの人がKAIさんのクラスを見学に訪れていた。
自然な感じがした。
東京都のHPだと公開研究になっていて、全国から集まっていた。
来年度は国語で同じスタンスで研究していくとアナウンスされていた。

6月の信頼ベースの学級ファシリテーション2日間講座があるとも。
http://wbmf.info/2016062526/


▼多様な学び実践研究フォーラム参加
スクリーンショット 2016-02-12 11.38.15.png
http://aejapan.org/2016/index.html
フレネの実践など聞いていて感動した。
K氏、後でフェイスブックなどで共有しますとのこと。(許可を頂き掲載)
スクリーンショット 2016-02-12 11.45.06.png

多様な教育を推進するためのネットワーク
http://altjp.net/classification/article/91


▼先生の呼び方
スタッフ(フリースクール):子供の支援者というニュアンスがある
先生:教える人というニュアンスがある

フリースクールは教員免許を持っていない人も多い
→専門性は?質の保証は?

教育の専門家として、子供達をみられるのだろうか。
もちろんそういったところから漏れてきた子供達もいるだろうけれど。


▼フリースクールのスタッフの専門性
学校の先生の専門性とかぶるところもあるけれど比重が違うのだろう。
学校の先生は学級経営、教科指導、生徒指導、幅広い専門性をバランス良く持っている必要性がある。
スタッフは、学校から漏れたり傷ついたりする子が来るので、子供の心をケアできる専門性が必要なのかな。カウンセラー的な。

子供を支援する人の専門性があまり言語化されていない。と専門家が言っていた。やっとされてきてはいるが、まだ限定的。

学びの場が増えるのは悪いことではないけれど、質の担保が課題。


学校の現場でさえ、いろいろ言われているけれど、インクルーシブに関して言うと、現場の先生たちはほとんど理解されていない状態。研修や学びはあってもその状態。
そういった現状がありつつ、さらにそういった勉強(教職課程など)をしてきていない人たちが多くなってきた時、フリースクールにとっては大きな課題だろう。


▼システム面の整備がフリースクール課題

日本の学校システムも素晴らしいと思った。
先生たちがその中でどう先生たちが身を施すのか、校長たちがどのように舵を切っていくのか。

あれだけシステマチックであれば質は保証されるよなぁ、少しは。(その質の言及も必要)

イエナプランでは、
先生たちの専門性がはっきりしていて、何をどう取り組んでいくのかが明確、それぞれが有機的にシステムとして機能しあっている。
今になって思うと、仕組みがあるというのはすごく重要なんだな。
フリースクールにしても、ある程度先生たちや学校システムも最初に開発しないと。
先生たちの専門性もそうだけれど、そこだけに頼るのは難しいだろう。


▼イエナのポイントガイド
先生の自己評価
・リーダーシップ 12項目
・内容      8項目
・教授法     8項目
・組織      8項目

JASはこれに基づいて、学校と教員の自己評価指標を作っています。(とある)

参考「イエナプラン教育のためのポイントガイド」
スクリーンショット 2016-02-12 12.00.02.png
https://efc.stores.jp/items/526b73583e7a4afc0500000f

日本はこういうところが足りない?教授法に視点が偏っている気がしている。

最近、北海道の堀先生が
日本の一斉授業みたいなこともできて、アクティブラーニングにつながってくる
いいものを掘り起こし、共有してから・・・と。
その辺りは問い直していく。それらを踏まえてイエナなど新しいものが生まれてくればいいのかと。


▼下北沢の勉強会とその共有
memo記録ブログはこちら
http://jenaplan-japan.blog.so-net.ne.jp/2016-02-07

4つの活動の中の学習と遊び
遊びの要素は企画された遊び自由遊びがある

日本の教育の中で遊びは、教科教育に遊びを結びつけている例はある。 算数で平行四辺形の面積を求める時、深め合うの?
あるにはあるらしい ブロックアワーの中のインストラクションにあるらしい。(11月のフォーラムによる)

日本は遊びを管理しようとしすぎるよね。
自由遊びと企画遊びが一緒になってしまっているような学校も見受けられた。

良くも悪くもシステムの中で、こういう慣例や前例があるよと、意欲のある人たちが頑張りすぎてる?ただ視点がteachingプロセスの視点に偏っている。どう教えるかが強い。

勉強会で出ていたのは、弱小深いや強い部会がある。
いろいろ出尽くしていて、最近はネタに探しに走っているかも?

地域によるものもあるだろうと。

今度ICTが入ってきた時にネタになっていくのかも?
可能性を広げる意味ではいいが、learningプロセスに移っていかないと厳しい?


▼学び合い
早く終わった子が終わってない子に教えるという関係性を強制している感じがあった。 できる子は先に進んでいいのに・・・

小さな在籍校で、全校で学び合いをやった。全校で80人くらい。
それぞれの学年で課題があった。
やっていくと、一人で考えたい子もいるし、考えている中で周りからドーッと来られると集中を欠いてしまう。
学年の大きい子が下を教えるのはいいけれど、下の子が来て上の子に「こんなのもできないの」という声もあり、劣等感になるのでは。

先生の声がけも限定されている。

なんか嫌だった。 不自然な感じがする。 イエナは自然な感じがあった。 上からやらされてる感がある。根底はそこである気がする。 結局同調性が強いられているような感じがする。

戸惑っている子がいれば教師が助けてあげてもいい

「君終わってるんだね、他にやることないの?」とみんなに聞こえるように伝えるくらいしか先生は声がけできない(実際的には?)

教師としては楽なのかもしれないけれど、果たしてそれでいいのか?
その先生(小規模校を指導にきた)にもそういう質問をしたが、納得のいかない回答だった。

少なくとも小学校では違うなぁという感じだった。

イエナの場合は異年齢学級では立場が変わっていく。
困った人が自分から聞きに行く
そういった姿勢が大切にされている
できる子はどんどん進めればいい、できない子は助けを求めお互いに助け合えればいいのになぁ。


自分自身が生徒としてその場にいたと仮定し、なんか嫌だなぁと一番感じたのは、劣等生では冷やかされる感があり、優等生は「またこれか」感がある。バタバタもする。

学級自体が信頼関係で出来上がっていればいいけれど、そうでないと困る。


外部講師など、研究室の人が飛び入りでいけば、非日常だからうまくいくのかもしれないけれど、日常化した時には・・・?

方法だけで取り入れていくのは・・・?


たまたま見た中学の理科は良かった。
その違いは先生がどうしていきたいか、何を目指しているのかがあった。
教科割というのもあるかも?

【学び合いは方法ではなく理念である】とはしている。

理念は悪いものではないけれど、実践の形にしていく時に壁がある。
理念と実践の間を埋める研究が必要。


割と急ピッチに来ている。アクティブラーニングに乗せようとしているのでは。
やり方は上手いとは思うが・・・

AL=学びあい は危険かも

正直怖い。
何のためのALなのか

とりあえずグループでやらせとけばいいだろう、という実践が増えていくのではないかと懸念。

今まで同じ失敗をしてきた。


▼突き詰めると職員室か

教員も多様。どうやって浸透させるか。教員が普段過ごしていく中で、価値観が当たり前になっていく。校長や管理側がそういう意識があって、先生たちにどうやって反映させていくのか、の意識がある。自分たちが目指す学校の理念、理想はどこにあるのか、どうすればいいのかが先生たちで話し合えればいいな。
その辺りを検討して話す時間が大切。それがないような状態で方法論が入ってくるのは・・・

▼教員養成
課題が山積み
教員養成はスタンダードが決まっていない。
どういう教員を育てていくか、そのためにどういう能力が必要なのか。軸が決まっていない。
答申では作る方向には決まっているが、、、
スタンダードが生まれてきたとして、それをどうやって評価していくのかが課題。

そもそもALは先生たちがアクティブでなければできないのでは。
一人だけではどんなに力があってもやっていけないだろう


極端に振れる傾向があるかも。パフォーマンスか放任か。
その間のバランスをとってやっていけたらいい。


▼イエナの先生たちはキャラや個性があまり際立っていない印象
ゆったりしている印象。
KAIさんのクラスでもそれを感じた。
最小限のインストラクション 子供達に任せている イエナに通ずる

先生たち同士の対話の量が圧倒的に違うのでは?

個性がある先生、パフォーマンス、内省的な先生、どんな先生もいつでも対話し合い、お互いを認め合いながらチームになっていく。とがる必要がない。自分の中にある自然体でやれる。
内気でもその先生の特性の中でやれている。
イエナの先生たちは自分が自分らしく、人間らしく生きていることを大切にしている。
信頼と対話ベースの人たちはそういう気風がある気がする。自然な人たちが多い気がする。
子供達もそれをわかる(先生が自然体)。安心できるし、信頼もできる。


▼そもそもイエナに学級経営の考えはあるのだろうか
そもそも教員養成の中には学級経営の考えはあるのではないか。
日本の学級経営とは違う?

Dr.Schaepman schoolが背負って立つもの。ペーターセンの他にも色々な考えが入ってきている。センゲやマイケルフランとか。

経営視点でイエナプランを見るとどうなのか、関心がある。

この学校だけ?全体で共有されている?
何れにしても、現代の現状に合うように進化している。


▼日本の公教育
ベースはどこなの?その上で進化していかないと。
変わらずにいるところもある。対話していけるといい。
その辺りを日本で埋められそうなのは苫野さんのいう学習の個別化や共同化かな?

本質的なところのアプローチがあって共感した。
【自由の相互承認】

学び合いだけでなくいろいろな方法を挙げられていた。


▼振り返り
考えを共有できるのは大切
先生たち同士の対話が大切かなと感じた
職員室が変わっていくのが目先で考えれば、子供達にとってはいいのかな
フリースクールの話題であったが、根本的な違いが少し見えた。仕組みや専門性が見えたのは良かったかも。


▼次回
2/19 (金)8:10-9:00予定

下北沢イエナプラン教育学習会 2016.2.7 [オランダ教育]

(英語 アプリ i know!)memo

▼4つの活動 対話ー学習
①サークル
自分のサークルを振り返って、先生からのディレクションが中心になっていたなぁ。
関係性のレベルはたしかにまだ低いとはいえ、それを手渡していける仕組みづくりを改めてしていかないといけない。

②読書サークルメモ
当番の子供から内容についてみんなに質問
当番の子供へみんなから質問
当番の子供へみんなから評価
母から評価
拍手
先生のアドバイス


学校のルール作り
批判的な考え方
平等な立場で意見を交換する

③時事問題サークル(高学年)
映像をみて、◯◯すべきなのか?
先生は見守る。議論がそれそうなときは修正を提示


▼学習 ブロックアワー

週の課題の提示 月の課題
誰に助けを求めればよいのか

課題を小グループで話せ・・・小グループでの対話をもっと積み重ねていきたい。最近大きなサークルが中心になっていた。目的の全体の関係性は出来てきているが、個々の関係性やコミュニケーション量を深めていくためにはグループワークを生かしていく必要。そのためにはグルーピングについてもっと検討しないといけないなぁ。

相談事も話す・・・塾内の相談事、決め事をちゃんと提示できるようにしたい。マネジメントの重要性

協力ものづくり・・・ものづくりのサークルは実はあまり取り組んだことがなかった。作ったものを何らかの形で展示したい、あるいは展示の目的に相当する方法を考えたい。

毎月遊ぶ会(中身は子供達)・・・先生がインストラクション・リードするものと、そうでないものは意味合いが異なってくるだろう。

気がすむまで何かをやってみる・・・一人遊びの経験から、気持ちの切り替えなどには。
自分で決められる経験・・・この経験がないと
→大人になってもやっていいんですか?ってなる

→わからないことを聞くのってカッコイイ、とクラスで伝えている

・・・何が大切なことかをもう少し、クラス内で言語化して伝えていくことも必要だなと思った。
そのためにはやはり、塾での実践を客観視して整理する必要がある。

・・・それとともに、スタッフ間での意思統一を図るべくものを展開する必要もある。


▼自習と自立(自律)学習(ブロックアワ)の違い
理解してやっているかどうか
強制される自習

こういったものをどうやって伝えていくかが課題

クラスを作るその先に学校をつくる

先生同士がつながっているか

管理職の仕事も

個人でできることのレベル(こえていることも)

システム

学校が大きすぎて顔の見えない先生もいる

▼部会など
弱小部会など
体育が強いイメージがある。ただ場所によるのかもしれない。

世田谷区 ホットスクールがある 改善が必要

新教育センターができる 先生たちのサポート期間

発達障害の子たちを受け入れられない学校が来年できる

すごくできる子はどうする・・・という支援学校がない オランダはある

次回は3月27日(日)


他にもあるが、取り急ぎメモをもとに。

第6回Skypeイエナプラン教育学習会 [オランダ教育]

この日から新たにお二人加わりました。

T.M
上越教育大学 インクルーシブ教育とイエナプラン教育

M.K
早稲田大学教育学研究科 修士1年 比較教育専攻 オランダイエナプラン教育の教員養成 修論予定 教職大学院も兼ねている


初期メンバーの紹介も。
M.K
明星大学 インクルーシブ教育とイエナプラン教育 後期課程


大学院、そのうちに・・・ 教育関係のフリーランサー


チェックイン中心で読書会は次回以降になりました。


▼チェックイン

早稲田の教職大学院では、高橋あつ子先生が教えていて、村上忠幸先生のMI理論の話も学んだ。

早稲田大学 大学院教職研究科 高橋あつ子氏 (オランダイエナプラン研修参加)
https://www.waseda.jp/fedu/gted/other/2014/09/16/465/

京都教育大学 教育学部 村上忠幸氏 (オランダイエナプラン研修参加)
http://researchmap.jp/read0059207/


高橋さんはグループワークトレーニングについても研究されている
http://日本グループワークトレーニング協会.com/index.html


▼グループワークトレーニング
例えば
グループ作りなどにおいて、間違い探しゲームなど。

スクリーンショット 2016-02-05 10.26.00.png

イメージとして、マシュマロチャレンジをもうちょっと簡略化し、すぐにできるものをたくさんやって、対人スキルを高めていくようなもの。

マシュマロチャレンジ
http://yasaibowl.com/blog/573

チームビルディングのイメージにも近い。

まとめられた本もある

改訂 学校グループワーク・トレーニング

改訂 学校グループワーク・トレーニング

  • 作者: 日本学校GWT研究会
  • 出版社/メーカー: 遊戯社
  • 発売日: 2009/01/21
  • メディア: 単行本



資格もある
スクリーンショット 2016-02-05 11.11.49.png
出展:http://日本グループワークトレーニング協会.com/sikaku_frame_page1.html



PA(プロジェクトアドベンチャー)とはちょっと違うと思う。

PAジャパン
http://www.pajapan.com



アクティビティーに走る傾向もある。子供達に目的を達成したかどうかを確認しなければならない。教師がその目的を失ってしまってはダメだよ・・・すごく強調していた


プロジェクトアドベンチャーとの違いは?


野外活動がベースにはなっているだろうけれど、実際的には教室内アクティビティーやリフレクションも大切にしている。
(全員その辺りに詳しくなかったので今後各自の勉強材料の一つにも)


教育学研究の方でグループワークトレーニングはよく取り上げられている。

早稲田は割とそういうところ強い。

早稲田はインクルーシブ教育やQ-Uがある。


▼Q-U

Q-Uとは
学級がどのような状態にあるのかを判断・可視化するアンケート。
スクリーンショット 2016-02-05 12.18.10.png
http://www.waseda.jp/sem-kawamura/about/outline/

可視化されることで、自分で自分を知る。ソーシャルエモーションのようなものに近いだろう。
イライラしてきた時にどういう風に対処していけばいいのか教えていく、ようなもの。


【管理が強く規律が強い型ー友達関係馴れ合い型ーバランスが取れている状態型ー崩壊している状態型など】
学級の立て直しの判断材料になり、グループワークトレーニングが入ってくる。


他にアンガーマネージメントがある。


▼アンガーマネージメント

日本アンガーマネージメント協会
https://www.angermanagement.co.jp/

アンガーマネージメント研究会
http://anger-management.jp/top.html

認知スキルを活かしてのインクルーシブとは?キーワードは?

「脳科学」

例えば、創造性の強い子は行動を制御する前頭前野の力が弱いから、どのようにその子をサポートしていけばいいのか。


前頭前野
スクリーンショット 2016-02-05 12.16.23.png
https://bsd.neuroinf.jp/wiki/%E5%89%8D%E9%A0%AD%E5%89%8D%E9%87%8E


脳科学の視点からサポートしていく


怒りをどのようにコントロールしていくのか


アサーションとはまた違う
アサーション:互いの違い、自分も他者も大切にしている

早稲田大学 本田敬子氏
https://www.wnp7.waseda.jp/Rdb/app/ip/ipi0211.html?lang_kbn=0&kensaku_no=2961

アンガーマネージメントとはpdf
http://www8.cao.go.jp/youth/suisin/pdf/soudan/05/s7.pdf

授業実践もある
http://www.pref.kochi.lg.jp/soshiki/310308/files/2009041000138/2009041000138_www_pref_kochi_lg_jp_uploaded_life_91879_326643_misc.pdf

点数化されている。
定期的に早稲田で勉強会や講演会があるので検索すれば出てくるだろう。


▼振り返り
①山崎準二さんにも教えを乞うていた。(大学院時に読書会の本翻訳)・・・佐藤学さんと仲良し
学習院大学 教員のライフコース

時々ゲストに招く?

②以外と大学院や研究生でイエナプラン教育やっている人多いんだなぁ。

千葉大学
兵庫教育大学
玉川大学
千葉大学
愛知教育大学

③玉川大学の佐久間先生はドイツのイエナプラン教育

④PBLとイエナプランを学んでいる人もいる。

⑤国際バカロレアと似ているな。

⑥日本にもあるんだったら子供はバカロレアに入れたいなぁ。

⑦群馬国際アカデミー(補足)
スクリーンショット 2016-02-05 12.16.52.png
http://www.gka.ed.jp/

⑧バカロレア校増やすという方向になっている。

バカロレア教えられる人はどうするのか?ー課題にあがっている

⑩ペーターセンのイエナプラン教育はエリート市民教育というイメージがあるかも

11:オランダを経由することによって、間口が開かれたイメージがある

12:イエナプラン教育は精神的なもので求めているものが高いのだなぁと気づいた。

以上。

第5回Skypeイエナプラン教育学習会 [読書会]

赤字:ひとまずの結論・推量
青字:問い
緑字:感情・興味深い

読んだページP104-113


▼年齢別学年学級

初版・2版と3版ではだいぶ表現が違う。追記部分もある。

この項は当時のドイツの危機感が、ペータセンのデータ展開によって感じられる。
この辺りの進級率など見ていると今と同じような感じがする
補助生徒とは言わないかもしれないが、不登校など、今の時代とも変わらないかもしれない

義務教育制度がボロボロなのかなと思った
一部の人たちのみが通り抜けられるというのは、昔の日本の高等教育に似ている?

時代背景を知りたい
親の関係や環境で進学できない子などが多いのか?
→わからない。
→第1次世界大戦の影響はあるだろうし、悪い状況にはあっただろうがハッキリは言えない
→ペーターセンも言うようにドロップアウトも多かったのではないか
→難民とかも出ていたのではないか

この時代にフリースクールの考え方も出始めてきた

1920年代というのはアイデンティティーを形成する一つの重要な時代でもあったはず。

オランダにおいても転換期だったろう。

ドイツも変わろうという中でこう言ったペータセンの研究も出てきた。

この辺りを深めようとしたら時代背景と学校制度のことを知っておくといいのかもしれない。



▼補助生徒
これに対してのペーターセンの考えが、彼ら自身を良くしようというより、彼らがいるのが当たり前で、受け入れていこうと感じる。インクルーシブ(特別生徒に対するサポート)というよりも。

彼らがサポート・陶冶されるというより、彼らも陶冶されるというイメージ

あまりにも行動が逸脱している生徒は受け入れられないと書いてあった。

ペータセンのこういった考えも、今のオランダのあり方とつながってくるところがあるのでは。

「やってみてダメだな」というのもあったのだろう。(初版などとは違う)
自閉症などは難しいねとか。

才能児というのと並べている。

才能児 ←→ LD など、IQ的にもすごい少ないわけではないけれど、80とか、1学年下くらいの能力の子供を対象にしているのではないか。

才能児とLD・遅れがある子など、いずれにおいても軽度などの受け入れられる範囲の中でのことを、原則的なことを具体例交えながら述べている。


P108にある、アルフレッド・クランプ「有能な補助学校児童」というのも踏まえて出てきていることかな
深めるにはこの時代背景とインクルーシブ教育の視点があるといい

有能な補助学校児童という表現が、何を示すのか。
エジソンも元は受け入れられていなかった
この時代ではそういった子供たちが受け入れられなかったのもあるのかな


▼ワイマール期ドイツの教育
研究論文などもあるので、その辺りも読んでおこう。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/374


▼才能児
子供の年齢というよりは、子供が何を持っているのかという中身をとても気にしている
この視点をこの時に持っていたのがすごいな。逆にこの時代だからなのかな

P104の最初に書いてあった
【異なった学年を一緒にすることは、その完全な意味においてはまず最初に、後述されるような「集団」についての詳論と関連付けて捉えられる必要がある。非常に異なった才能が一緒にされているということは極めて重要なことである。その点は、集団生活を記述するなかでいっそう明らかにされることではあるが、それでもなおそれ以外の重要な理由を持っている。】
とした上で、今日の学校制度についてデータで訴えている。


▼異年齢学級・複式学級 考え

オランダの記事でも年齢別学級のことは強く書かれていた。
この時代年齢別学級に行き詰まりを感じていたのではないか
異なる才能があることが極めて重要であるというのを謳っているのもあって意識が強かった。
研究を重ねていく中で、3版では「完全な意味において」とも記述がある。

今でも異年齢学級に関するもの考えはあまりないのでは。
仕方ないから複式学級という形だろう

今をもってしても新しい考えだろう


異年齢学級が制度としてある国はあるのだろうか?
発展途上国などでそうせざるをえないというのもあるだろうが・・・
仕方ないから混ぜてやっているのと、研究の上で行われているのでは全然違うだろう

発展途上国などは日本に追従する形が強いだろう

文科省などもかなり実験データなども出さないと異年齢学級の仕組みにはならないだろう。
そうすれば可能性もあるのでは。


フィリピンの公立学校の先生とやりとりをした時にイエナプラン教育のことを数回にわたって話し合った。
反応は、彼らにとっては全く未知の世界で「へぇ」という感じのものだった。
国の発展のベースになる教育が中心になってくるだろうから、今後の途上国は日本に見習えというのもあるのかもしれない。

そういった道筋を辿るしかないかもしれない。

確かに、欧米諸国が確かな形を示していけば、英語が半分公用語であるような国々は別の可能性があるかもしれないが。



ペーターセンが何をしたのかもっと知りたい

こういった資料がある(まだ読んでない・日本語版は出ていない)

Peter Petersen und die jenaplan-padagogik: Historische und aktuelle perspektiven

Peter Petersen und die jenaplan-padagogik: Historische und aktuelle perspektiven

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Franz Steiner Verlag Wiesbaden Gmbh
  • 発売日: 2012/11/30
  • メディア: ハードカバー





▼振り返り
今日のは重要な箇所だなと。
異年齢という重要なものに対してペーターセン自身の記述で見られて良かった。
単純に教育だけの問題というより、その時代背景というのが非常に色濃かったんだなと感じた。その中でペーターセンがそういった異年齢などのやっていくという気概も感じた。そういった中でもっとワイマール期も知りたい、その中でイエナプランが今に至るまでのその源流を知れて良かったし、もっと知りたい。

特別支援の先生(大学)が、これは絶対特別支援にイエナプランが使える、と言っていた理由が異年齢学級だった。

ペータセンの異年齢学級という理由にしても、「天才児と障害児」を出している。
そのレベル、能力を基準にしていやっている

その先生の視点は間違っていなかったんだな。


こういった話は通常の勉強会ではできないこともあるが、感情的には楽しい
すごく扱う範囲が狭いこともある。



▼次回
2月5日(金)8:10-9:00
参加してみたい方はご連絡ください。
「学校と授業の変革ー小イエナ・プランー」をお持ちであることが望ましいです。

sei_willkommen_hereinアットhotmail.com

研究計画書デザイン2 [読書会]

読書アウトプットシリーズ2

これは読んだ本を自身が身につけていくことに主眼を置いた記事です。
振り返り用の私的アウトプット。

今回の本は、前回の続き、細川英雄著【研究計画書のデザイン】です。

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

  • 作者: 細川 英雄
  • 出版社/メーカー: 東京図書
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 単行本



引用について、基本的に同著からのものは【】で提示し、ページ数などは割愛いたします。


読んだページ:第2章 P27-P46

今回の引用
1【志望動機は、問題意識の根っこ】
2【現場感覚を大切に】
3【問題関心から問題意識へ】
4【目的のある深い議論へ向けて】
5【テーマを一つに絞り込むための手順】
6【現場の「なぜ」を生かす】
7【テーマの把握から他者への提示へ】
8【データの扱い方】
9【個人的な経験やエピソードの意味】



1【志望動機は、問題意識の根っこ】
この本自体の問題意識として、ハウツーだけではなく、そこへ至るプロセスが大切にされている。
志望動機はそもそも入学等への手続きではなく、本質的な動機。
当たり前ではあるのだけれど、改めてそこを見つめ直すきっかけになった。
個人的なエピソードを出発にしたらどうかと提案している。
これは自身の問題意識をはっきりさせていくために必要なことだと思う。

2【現場感覚を大切に】
筆者も言及しているが、これは必ずしも現場での仕事に関する具体的な方法そのものを示すものではなく、【毎日の仕事の中での何かに引っかかる感覚、これでいいのだろうかという感覚】。つまりは日常の振り返りの中に生まれてくるものを言語化することの大切さを説いているのだろう。


3【問題関心から問題意識へ】
手順と内容に至るプロセスを述べている。

【①研究テーマ ②研究目的 ③研究内容 ④研究方法・計画 ⑤研究成果に期待されるもの】

これらは書くというスキルだけの問題ではなく、【自分のやりたいことや考えていることを実現するための、具体的な道筋や方向性として考える事】

もう少し具体的なところで、関心から意識へのプロセスを以下のようにまとめていた。
IMG_4593.JPG


4【目的のある深い議論へ向けて】
私たちの関心というものは、好奇心の旺盛な人であっても、そうでない人でも、それを広げていくという事は自然な成り行き。それは研究においてもネガティブなものではないというのは、少し救われた感覚。広がりすぎて途方に暮れることも多々あった。そして、大切なのは「他者に向けて提示するということ、そしてそのためには何かを選択して示すということ」でした。

これはまさに今自分がブログを書くにあたっても、一番課題のあるところ。なんとなくのところで、ここは自分自身向け、ここは読んでもらう向けとはしているものの、と。このブログ自体のコンセプトが「自由」ということもあるので、今のところとしては良いのかもしれないけれど、少しずつ読者も増えてきていることを鑑みたり、今後何かの研究プロセスに入っていくときに、この辺りが曖昧なままではいけないなと、改めて思い直すことになりました。

私の場合は不器用なのでとりあえずフォームに頼ってみようと考え、今回のブログから「自分向けのものは自分向け」と提示したり、いずれの場合においても、書くプロセスをある程度明確化しようということになりました。今回のこの記事も事前にExcelでプロットだけ作ってから書いています。

少し長いけれど重要箇所を引用。

【ここでいう「目的のある深い議論」とは、まさに自分はどのような問題について研究しようとするのか、という研究計画に他なりません。 多くの問題関心の中から、問題を一つに絞り込み、その問題について深く掘り下げるための作業が必要です。 そのためには、具体例を提示し、当面の自分の意見をまとめることが必要です。それがすなわち現段階での自分の意見(仮説)ということになります。 したがって、いろいろな問題関心の中から、問題(テーマ)を一つに絞ることが必要で、テーマを一つに絞りさえすれば、自分が何を言いたいのかもやがてはっきりしてくることになるわけです。】


5【テーマを一つに絞り込むための手順】
この手順は

【①動機 ②具体例 ③当面の結論】

とし、自ら考えていくことの大切さを具体例を交えて解説。
ここはこの通りなのでメモとして残しておく程度に。


6【現場の「なぜ」を生かす】
いわゆる振り返りのプロセス

【①現場で考えたこと・思ったこと→②その問題について「なぜ」という問いを立ててみる→③その「なぜ」を説明するための具体例を考えてみる→④具体的な例に基づいて自分の意見をまとめてみる】

①〜③は日常的にやれているが、④はやれている時とやれていない時がある。


7【テーマの把握から他者への提示へ】
ここまでのプロセスは

【自分以外の他者へ、「なぜそのテーマか」ということを説得的に提示するための前段階】

以下はテーマを掘り下げていくときのメモ

【それは、まず自分のテーマをもう一度明確に把握し、そのための仮説を作り、それを説明する具体例を提示した上で、何をどこまで調べ、書くかを述べれば、おのずと結論への見通しが見えてくるはずです。】


8【データの扱い方】
第1次資料と第2次資料について言及。
つまりは実証的な生きたデータと、先行研究など。

9【個人的な経験やエピソードの意味】
以上のような(実際は他にも項目がある)プロセスを踏まえていくと、最初に出発点として提示していた「個人のエピソード」がだいぶ抽象化され、一般化してくる。こうやって、その分野での専門的な問題として把握されるようになってくる、と筆者も言及している。
多くの研究は、これらの個人的エピソードを基本的には乗り越えているとしている。

【「なぜ私は書くのか」「なぜ私は研究するのか」という問いを持っています。この問いを持たない研究は実に薄っぺらいなものです。】



▼感想まとめ

この本を読んでいくと、自らに常に置き換えながら考えていくことができる
ハウツーも重要だが、同時にプロセスや考え方も大切にしていかなければならない。
まさに学び方を学べる本なのだなぁと今後も読み学び進めていくのが楽しみです。
そもそもの、「書く」ということを見つめ直させてくれます。

希望の原理読書会2 [読書会]

2が抜けていたので補足

「私たちは誰なのか。どこか来たのか。中略。多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人々はそれがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。」
→人々のこうした状態は不安、はっきりしたものになると、恐怖
p.17

当惑を生む「それはなぜ◯◯なのか」という探求、哲学思考という、その恐怖をつくりだす張本人とは別に、それはもっと私たちに適合した感情が生まれてもいいはず。
→適合した感情とは希望?

p.17まとめ
「大切なのは、希望を学ぶことである。」
希望>恐怖
希望≠受け身
希望≠虚無
「この(希望という)情動の仕事は、生成するものー人間自身もそれに属しているーのなかにとびこんで働く人間を求めている。」


以下の夢は昼間の夢(Tagtraum)と訳されている。寝ているときのものに対比されてのことだろう。
夢=薄っぺらな、無気力な逃避
夢=人をけしかけら挑発して、現にある悪しき存在に妥協せず、まさにあきらめさせることをしない。
→ここの核に希望がある。
→これは教えることができる。
→重要なのは、その夢をますます広く知り、そのことでごまかしのきかない、的をはずさない、有効性を保つこと。
→これが充実すると、醒めた眼差しだけ豊かになる。→目が冴えること。
→事物の進みぐあいと、そのよりよい可能性も見てとる[参加者の悟性]を意味する。
p.18

第4回目イエナプラン教育Skype学習会 [オランダ教育]

第4回目のイエナプラン教育Skype学習会でした。
今回から内容はこの本の読書会です。
【学校と授業の変革ー小イエナ・プランー】

学校と授業の変革 (世界新教育運動選書 (4))

学校と授業の変革 (世界新教育運動選書 (4))

  • 作者: ペーターゼン
  • 出版社/メーカー: 明治図書
  • 発売日: 1984/01
  • メディア: 単行本



この本は一般に入手するのは少々困難ですが、大学図書館などで借りられました。

一緒に勉強会をしている方も特別支援教育に携わって研究されている方でもあるので、お互いに本を持っていて且つ、難しいところなどは一緒に読み合せていけたらということで始まりました。

イエナプラン教育というと、今ではオランダと密接に結びつきのあるものですが、その祖型はこのドイツでペーター・ペーターセンによって20世紀初頭に生み出されました。

その当時にペーターセンによって書かれた本【Der kleine Jena-Plan: einer freien allgemeinen Volksschule】を日本の教育学研究者たちによって翻訳されたものです。

Der kleine Jena-Plan: einer freien allgemeinen Volksschule

Der kleine Jena-Plan: einer freien allgemeinen Volksschule

  • 作者: Peter Petersen
  • 出版社/メーカー: Beltz Gmbh, Julius
  • 発売日: 2014/06
  • メディア: ペーパーバック



翻訳本には著者たち自身の記述の部分もありましたが、今回は翻訳部分に焦点をあてて進めていくことになりました。

勉強会自体が社会人の集まりで、朝の50分ということもあり、ゼミ形式のように事前にレポートを作成しておくことなども困難で、内容言及ももしかしたら浅いかもしれませんが、私たちの記録として今後も残していきたいと思います。


▼読書会の進め方
少しずつ(10ページ単位くらい)読みながら、お互いに読んで気になるところを掘り下げていく形

▼ペーターセンのイエナプラン教育と現オランダでのイエナプラン教育
・読んでいてギャップがあった。現在のオランダでのあり方や形に比べて、だいぶ敷居が高いイメージがある。
・精神的なエリート市民の意識?
・時代背景が全然違うこともあるかもしれない。
・ペーターセンの従来の学校教育を変えようという意思は1912年に生まれ、イエナプラン教育への意思は1922年に生まれた。この時代、ドイツは第1次世界大戦の経験と、大空位時代とも言われるワイマール共和国時代を経験している非常に混迷した時期。
・こういった時期も相まって、「国家」意識や、「権威」意識、また「共同体」への意識が強いこともあるのではないだろうか。そして「Führer(leader/導き手)」としての意義もそこに出てくるのではないだろうか。
・オランダでは20の原則など、様々な合議を重ねて根強く今があるが、ドイツではペーターセンが死去し、一度廃れていったように、そういった運動への発展に結びついていくのは困難だったのかもしれない。それには戦争やドイツの現状などの時代背景もあるだろうし、また「格の高さ」的なものもあったのではないだろうか。

▼学校のあり方
・私が保護者だったとしたら、ちょっと入りづらい。
(父母の態度という項目がある)
・道徳教育のイメージが強い。
・特別支援教育の視点から見ると、今オランダで言われているような視点(SEN/Inclusive education)があまり文面からは感じられなかった。
・この時代に特別支援教育の考え方はどのようのだったのだろうか。日本の方が隠したり、受け入れたりと地域にもよるが、おおらかだったようにも思うし、ドイツなどは詳しくはないが、排斥していた傾向にあったのではないか?特別支援教育に関してはもう少しその辺りの歴史を知ることが必要。

▼その他
・訳者の理念とペーターセンの理念が相まって、文面文脈は学術的ではあるが、とても想いの現れた時翻訳のような気がする。
・ワイマール期のドイツの時代背景とオランダでの発展における時代背景も重要だろう。
・ワイマール期のドイツと大正期の日本を考察するのが未来につながるのではないだろうか。
・非常に混迷した時代でもあり、新たなものが花開いた時代でもあり、市民が啓かれ始めてこともある。こういった時代に生まれるアイデアや哲学といったものをベースに考えていくことは有益ではないだろうか。
・エルンスト・ブロッホの書いた「希望の原理」という本にイエナプラン教育への親和性を感じる。

希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)

希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)

  • 作者: エルンスト ブロッホ
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2012/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



▼チェックアウト
・時代背景を知ることができてよかった。
・特別支援教育の視点から見るペーターセンのイエナプラン教育という観点が新しかった。
・勉強会の意義がより出てきたように感じる。
・改めてワイマール期のドイツを考察してみたい(筆者は大学時代の卒業論文で、ワイマール期ドイツのジャーナリズムについて言及していた)

以上。
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