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第5回Skypeイエナプラン教育学習会 [読書会]

赤字:ひとまずの結論・推量
青字:問い
緑字:感情・興味深い

読んだページP104-113


▼年齢別学年学級

初版・2版と3版ではだいぶ表現が違う。追記部分もある。

この項は当時のドイツの危機感が、ペータセンのデータ展開によって感じられる。
この辺りの進級率など見ていると今と同じような感じがする
補助生徒とは言わないかもしれないが、不登校など、今の時代とも変わらないかもしれない

義務教育制度がボロボロなのかなと思った
一部の人たちのみが通り抜けられるというのは、昔の日本の高等教育に似ている?

時代背景を知りたい
親の関係や環境で進学できない子などが多いのか?
→わからない。
→第1次世界大戦の影響はあるだろうし、悪い状況にはあっただろうがハッキリは言えない
→ペーターセンも言うようにドロップアウトも多かったのではないか
→難民とかも出ていたのではないか

この時代にフリースクールの考え方も出始めてきた

1920年代というのはアイデンティティーを形成する一つの重要な時代でもあったはず。

オランダにおいても転換期だったろう。

ドイツも変わろうという中でこう言ったペータセンの研究も出てきた。

この辺りを深めようとしたら時代背景と学校制度のことを知っておくといいのかもしれない。



▼補助生徒
これに対してのペーターセンの考えが、彼ら自身を良くしようというより、彼らがいるのが当たり前で、受け入れていこうと感じる。インクルーシブ(特別生徒に対するサポート)というよりも。

彼らがサポート・陶冶されるというより、彼らも陶冶されるというイメージ

あまりにも行動が逸脱している生徒は受け入れられないと書いてあった。

ペータセンのこういった考えも、今のオランダのあり方とつながってくるところがあるのでは。

「やってみてダメだな」というのもあったのだろう。(初版などとは違う)
自閉症などは難しいねとか。

才能児というのと並べている。

才能児 ←→ LD など、IQ的にもすごい少ないわけではないけれど、80とか、1学年下くらいの能力の子供を対象にしているのではないか。

才能児とLD・遅れがある子など、いずれにおいても軽度などの受け入れられる範囲の中でのことを、原則的なことを具体例交えながら述べている。


P108にある、アルフレッド・クランプ「有能な補助学校児童」というのも踏まえて出てきていることかな
深めるにはこの時代背景とインクルーシブ教育の視点があるといい

有能な補助学校児童という表現が、何を示すのか。
エジソンも元は受け入れられていなかった
この時代ではそういった子供たちが受け入れられなかったのもあるのかな


▼ワイマール期ドイツの教育
研究論文などもあるので、その辺りも読んでおこう。
http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/handle/2261/374


▼才能児
子供の年齢というよりは、子供が何を持っているのかという中身をとても気にしている
この視点をこの時に持っていたのがすごいな。逆にこの時代だからなのかな

P104の最初に書いてあった
【異なった学年を一緒にすることは、その完全な意味においてはまず最初に、後述されるような「集団」についての詳論と関連付けて捉えられる必要がある。非常に異なった才能が一緒にされているということは極めて重要なことである。その点は、集団生活を記述するなかでいっそう明らかにされることではあるが、それでもなおそれ以外の重要な理由を持っている。】
とした上で、今日の学校制度についてデータで訴えている。


▼異年齢学級・複式学級 考え

オランダの記事でも年齢別学級のことは強く書かれていた。
この時代年齢別学級に行き詰まりを感じていたのではないか
異なる才能があることが極めて重要であるというのを謳っているのもあって意識が強かった。
研究を重ねていく中で、3版では「完全な意味において」とも記述がある。

今でも異年齢学級に関するもの考えはあまりないのでは。
仕方ないから複式学級という形だろう

今をもってしても新しい考えだろう


異年齢学級が制度としてある国はあるのだろうか?
発展途上国などでそうせざるをえないというのもあるだろうが・・・
仕方ないから混ぜてやっているのと、研究の上で行われているのでは全然違うだろう

発展途上国などは日本に追従する形が強いだろう

文科省などもかなり実験データなども出さないと異年齢学級の仕組みにはならないだろう。
そうすれば可能性もあるのでは。


フィリピンの公立学校の先生とやりとりをした時にイエナプラン教育のことを数回にわたって話し合った。
反応は、彼らにとっては全く未知の世界で「へぇ」という感じのものだった。
国の発展のベースになる教育が中心になってくるだろうから、今後の途上国は日本に見習えというのもあるのかもしれない。

そういった道筋を辿るしかないかもしれない。

確かに、欧米諸国が確かな形を示していけば、英語が半分公用語であるような国々は別の可能性があるかもしれないが。



ペーターセンが何をしたのかもっと知りたい

こういった資料がある(まだ読んでない・日本語版は出ていない)

Peter Petersen und die jenaplan-padagogik: Historische und aktuelle perspektiven

Peter Petersen und die jenaplan-padagogik: Historische und aktuelle perspektiven

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: Franz Steiner Verlag Wiesbaden Gmbh
  • 発売日: 2012/11/30
  • メディア: ハードカバー





▼振り返り
今日のは重要な箇所だなと。
異年齢という重要なものに対してペーターセン自身の記述で見られて良かった。
単純に教育だけの問題というより、その時代背景というのが非常に色濃かったんだなと感じた。その中でペーターセンがそういった異年齢などのやっていくという気概も感じた。そういった中でもっとワイマール期も知りたい、その中でイエナプランが今に至るまでのその源流を知れて良かったし、もっと知りたい。

特別支援の先生(大学)が、これは絶対特別支援にイエナプランが使える、と言っていた理由が異年齢学級だった。

ペータセンの異年齢学級という理由にしても、「天才児と障害児」を出している。
そのレベル、能力を基準にしていやっている

その先生の視点は間違っていなかったんだな。


こういった話は通常の勉強会ではできないこともあるが、感情的には楽しい
すごく扱う範囲が狭いこともある。



▼次回
2月5日(金)8:10-9:00
参加してみたい方はご連絡ください。
「学校と授業の変革ー小イエナ・プランー」をお持ちであることが望ましいです。

sei_willkommen_hereinアットhotmail.com

研究計画書デザイン2 [読書会]

読書アウトプットシリーズ2

これは読んだ本を自身が身につけていくことに主眼を置いた記事です。
振り返り用の私的アウトプット。

今回の本は、前回の続き、細川英雄著【研究計画書のデザイン】です。

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

  • 作者: 細川 英雄
  • 出版社/メーカー: 東京図書
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 単行本



引用について、基本的に同著からのものは【】で提示し、ページ数などは割愛いたします。


読んだページ:第2章 P27-P46

今回の引用
1【志望動機は、問題意識の根っこ】
2【現場感覚を大切に】
3【問題関心から問題意識へ】
4【目的のある深い議論へ向けて】
5【テーマを一つに絞り込むための手順】
6【現場の「なぜ」を生かす】
7【テーマの把握から他者への提示へ】
8【データの扱い方】
9【個人的な経験やエピソードの意味】



1【志望動機は、問題意識の根っこ】
この本自体の問題意識として、ハウツーだけではなく、そこへ至るプロセスが大切にされている。
志望動機はそもそも入学等への手続きではなく、本質的な動機。
当たり前ではあるのだけれど、改めてそこを見つめ直すきっかけになった。
個人的なエピソードを出発にしたらどうかと提案している。
これは自身の問題意識をはっきりさせていくために必要なことだと思う。

2【現場感覚を大切に】
筆者も言及しているが、これは必ずしも現場での仕事に関する具体的な方法そのものを示すものではなく、【毎日の仕事の中での何かに引っかかる感覚、これでいいのだろうかという感覚】。つまりは日常の振り返りの中に生まれてくるものを言語化することの大切さを説いているのだろう。


3【問題関心から問題意識へ】
手順と内容に至るプロセスを述べている。

【①研究テーマ ②研究目的 ③研究内容 ④研究方法・計画 ⑤研究成果に期待されるもの】

これらは書くというスキルだけの問題ではなく、【自分のやりたいことや考えていることを実現するための、具体的な道筋や方向性として考える事】

もう少し具体的なところで、関心から意識へのプロセスを以下のようにまとめていた。
IMG_4593.JPG


4【目的のある深い議論へ向けて】
私たちの関心というものは、好奇心の旺盛な人であっても、そうでない人でも、それを広げていくという事は自然な成り行き。それは研究においてもネガティブなものではないというのは、少し救われた感覚。広がりすぎて途方に暮れることも多々あった。そして、大切なのは「他者に向けて提示するということ、そしてそのためには何かを選択して示すということ」でした。

これはまさに今自分がブログを書くにあたっても、一番課題のあるところ。なんとなくのところで、ここは自分自身向け、ここは読んでもらう向けとはしているものの、と。このブログ自体のコンセプトが「自由」ということもあるので、今のところとしては良いのかもしれないけれど、少しずつ読者も増えてきていることを鑑みたり、今後何かの研究プロセスに入っていくときに、この辺りが曖昧なままではいけないなと、改めて思い直すことになりました。

私の場合は不器用なのでとりあえずフォームに頼ってみようと考え、今回のブログから「自分向けのものは自分向け」と提示したり、いずれの場合においても、書くプロセスをある程度明確化しようということになりました。今回のこの記事も事前にExcelでプロットだけ作ってから書いています。

少し長いけれど重要箇所を引用。

【ここでいう「目的のある深い議論」とは、まさに自分はどのような問題について研究しようとするのか、という研究計画に他なりません。 多くの問題関心の中から、問題を一つに絞り込み、その問題について深く掘り下げるための作業が必要です。 そのためには、具体例を提示し、当面の自分の意見をまとめることが必要です。それがすなわち現段階での自分の意見(仮説)ということになります。 したがって、いろいろな問題関心の中から、問題(テーマ)を一つに絞ることが必要で、テーマを一つに絞りさえすれば、自分が何を言いたいのかもやがてはっきりしてくることになるわけです。】


5【テーマを一つに絞り込むための手順】
この手順は

【①動機 ②具体例 ③当面の結論】

とし、自ら考えていくことの大切さを具体例を交えて解説。
ここはこの通りなのでメモとして残しておく程度に。


6【現場の「なぜ」を生かす】
いわゆる振り返りのプロセス

【①現場で考えたこと・思ったこと→②その問題について「なぜ」という問いを立ててみる→③その「なぜ」を説明するための具体例を考えてみる→④具体的な例に基づいて自分の意見をまとめてみる】

①〜③は日常的にやれているが、④はやれている時とやれていない時がある。


7【テーマの把握から他者への提示へ】
ここまでのプロセスは

【自分以外の他者へ、「なぜそのテーマか」ということを説得的に提示するための前段階】

以下はテーマを掘り下げていくときのメモ

【それは、まず自分のテーマをもう一度明確に把握し、そのための仮説を作り、それを説明する具体例を提示した上で、何をどこまで調べ、書くかを述べれば、おのずと結論への見通しが見えてくるはずです。】


8【データの扱い方】
第1次資料と第2次資料について言及。
つまりは実証的な生きたデータと、先行研究など。

9【個人的な経験やエピソードの意味】
以上のような(実際は他にも項目がある)プロセスを踏まえていくと、最初に出発点として提示していた「個人のエピソード」がだいぶ抽象化され、一般化してくる。こうやって、その分野での専門的な問題として把握されるようになってくる、と筆者も言及している。
多くの研究は、これらの個人的エピソードを基本的には乗り越えているとしている。

【「なぜ私は書くのか」「なぜ私は研究するのか」という問いを持っています。この問いを持たない研究は実に薄っぺらいなものです。】



▼感想まとめ

この本を読んでいくと、自らに常に置き換えながら考えていくことができる
ハウツーも重要だが、同時にプロセスや考え方も大切にしていかなければならない。
まさに学び方を学べる本なのだなぁと今後も読み学び進めていくのが楽しみです。
そもそもの、「書く」ということを見つめ直させてくれます。

希望の原理読書会2 [読書会]

2が抜けていたので補足

「私たちは誰なのか。どこか来たのか。中略。多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人々はそれがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。」
→人々のこうした状態は不安、はっきりしたものになると、恐怖
p.17

当惑を生む「それはなぜ◯◯なのか」という探求、哲学思考という、その恐怖をつくりだす張本人とは別に、それはもっと私たちに適合した感情が生まれてもいいはず。
→適合した感情とは希望?

p.17まとめ
「大切なのは、希望を学ぶことである。」
希望>恐怖
希望≠受け身
希望≠虚無
「この(希望という)情動の仕事は、生成するものー人間自身もそれに属しているーのなかにとびこんで働く人間を求めている。」


以下の夢は昼間の夢(Tagtraum)と訳されている。寝ているときのものに対比されてのことだろう。
夢=薄っぺらな、無気力な逃避
夢=人をけしかけら挑発して、現にある悪しき存在に妥協せず、まさにあきらめさせることをしない。
→ここの核に希望がある。
→これは教えることができる。
→重要なのは、その夢をますます広く知り、そのことでごまかしのきかない、的をはずさない、有効性を保つこと。
→これが充実すると、醒めた眼差しだけ豊かになる。→目が冴えること。
→事物の進みぐあいと、そのよりよい可能性も見てとる[参加者の悟性]を意味する。
p.18

研究計画書デザイン1 [読書会]

読んだ本を身につけるためにもアウトプットをシリーズ第1弾
途中まででも書きます。
なお個人的なアウトプットということで、気になったところのみを抽出しています。

今回の本は

【研究計画書デザイン】 細川秀夫著

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

増補改訂 研究計画書デザイン 大学院入試から修士論文完成まで

  • 作者: 細川 英雄
  • 出版社/メーカー: 東京図書
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 単行本



研究に対して深めていきたいのはもちろんだけれど、その方法やあり方をデザインしていくという着眼点のもの。いくら意欲があってもその設計図がないと実行していくためのハードルが高い。ましてやそういったフレームワークに弱く、企画力はともかく計画・経営力に乏しい私にとっては必要な本でした。また同著は大学院を前提に置きつつ、専門学校との比較、そして将来にわたる研究性の意義についてもフレームワークとともに述べています。

以下【】内は同著からの引用

▼前書き

【日本の教育行政の方針が大きく変化し、独立大学院の設置が積極的に認められ始めた】
つまりは、大学に求められるのは「専門性」ではなく、より幅広い「教養」。その証拠に企業などでは独自の教育カリキュラムを開発しているとも。確かに。
IMG_4536.jpg

▼第1章ー1 今、なぜ大学院か

今、大学院に進んで勉強しようとしている人たちの主な理由が以下のようにまとめられています。

【①修士の資格が必要 ②日々の実践を裏付ける理論的な根拠が欲しい ③教育や研究のノウハウを体系的な観点から学びたい】

私の場合も②③に該当しました。

企業などから専門性を期待されない状況の中で、では大学院に期待されていることは何かという問には【新しい企画プロジェクトを組織したり、様々なプログラムや活動のコンセプトを立案したりするの能力を持つ人材の育成】としています。また海外で働くには修士号が必要なケースが多いとも。

・仕事を持つ人の突き当たる壁


【とにかく仕事をしたい、この気持ちから無我夢中で仕事をしてきて、ふと気がつくと、いったいこれでいいのかどうか不安……】

【理論的な裏付けがないため、突っ込まれると自信がない。】

筆者は日本語教育の実践・研究家であり、私としても教育に携わる身から共感することが多いです。また周囲の方々もこのように考えている教員の方々、研究者の方々の話も聞いているのでこのことは切実でした。

また専門学校との比較において、以下のように特徴をまとめています。

【専門学校の場合、多くは実務に関する技術やノウハウを教えることに的を絞っていますから、そのカリキュラムに即して、できるだけ実践的な指導ができるような人材を求めるはずです。】

【大学院2年間の計画が自分の問題として明確に提示できれば、とりあえずスタートすることはできます。大学院の利点としては、たんに技術的なノウハウばかりではなく、その分野の理論的背景や実践と研究との相互関係などを体系的に学べるということです。】

納得しました。

私のところで置き換えると、やはり大学院にあるかと。以前から考えてはいたけれど、また距離が近くなった気がします。

ただ、今現在としては手順や方法論を意識していきたい。その中で道筋として見えた時には大学院進学を考えていきたいと思っています。

▼第1章−2 充実した生活と仕事のために

この項で一番共感するのは、「振り返り」についてでした。

日頃から振り返りの意味を考えている身として、他者から言葉として改めてその意義を提示されるのは良い学びになりました。良い実践のために、ということで以下のように述べています。

【このことを考えるためには、まず自分のクラスを振り返らなければなりません。振り返りとは、自分のクラスで行われていることはいったい何なのか、クラスの設計は十分に生かされているか、その設計に基づきどのような方法を用いているか、それはまたどのような効果を生み出しているか、等々です。】

結局私自身も成長のプロセスにおいて振り返りという機能は重要な役割を果たす、また他者への指導の際も「振り返りは成長のコツだ」とも伝えていますが、このような研究実践家の方の言葉は励みになりました。改めて振り返りシートを作ろうかな。

その他にも様々な事柄をここまでも述べていますが、この章の最後に印象に残った言葉を引用してこの記事は一度締めたいと思います。

【現実はそんなに甘くないということばはよく聞きますが、それなら、あなた自身はどのように変わり、どのように変革を試みているのか。このプロセスが修士終了者には問われるわけです。】

これは修士終了者はもちろん、私たちがより良い生活を目指していくために必要なことなんだろうなぁと思いました。

第3回希望の原理読書会 P.19 [読書会]

【考えることは、踏み越えることである】
という論理の展開と解説。

そうはいっても、現にあるものが隠されたり、見落とされたりしてはならない。
中略
それゆえ、本当に踏み越えるということは、決して前方(Vor-uns)というただの真空状態にただ夢中になって、ただ抽象的に思い描くだけで、入っていくことではない。踏み越えることは、現に存在して動いているもののなかに媒介されているひとつのものとして、新しいものを把握することである。
中略
本当に踏み越えるとは、歴史のなかに備わっている弁証法的に進展する傾向を知り、活性化することである。

P.19前半部より引用

まとめ
IMG_1439.jpg

前回の「夢」考察に続き、この原理の核となるものを生み出す「考える」という行為に焦点をあてたもの。ページは進まないが大切にしたいところだろう。

なお、前書き部分は全編を通じて重要なところになるので、ページの進みは遅くなることご容赦いただきたい。

第2回希望の原理読書会内容。【まえがき】 [読書会]

「私たちは誰なのか。どこか来たのか。中略。多くの人はただ当惑するばかりだ。大地はゆらぎ、人々はそれがなぜなのか、何のせいなのか、知らない。」
→人々のこうした状態は不安、はっきりしたものになると、恐怖
p.17

当惑を生む「それはなぜ◯◯なのか」という探求、哲学思考という、その恐怖をつくりだす張本人とは別に、それはもっと私たちに適合した感情が生まれてもいいはず。
→適合した感情とは希望?

p.17まとめ
「大切なのは、希望を学ぶことである。」
希望>恐怖
希望≠受け身
希望≠虚無
「この(希望という)情動の仕事は、生成するものー人間自身もそれに属しているーのなかにとびこんで働く人間を求めている。」


以下の夢は昼間の夢(Tagtraum)と訳されている。寝ているときのものに対比されてのことだろう。
夢=薄っぺらな、無気力な逃避
夢=人をけしかけら挑発して、現にある悪しき存在に妥協せず、まさにあきらめさせることをしない。
→ここの核に希望がある。
→これは教えることができる。
→重要なのは、その夢をますます広く知り、そのことでごまかしのきかない、的をはずさない、有効性を保つこと。
→これが充実すると、醒めた眼差しだけ豊かになる。→目が冴えること。
→事物の進みぐあいと、そのよりよい可能性も見てとる[参加者の悟性]を意味する。
p.18

「希望の原理」第1回読書会 [読書会]

この読書会は現在一人で読み進めているものですが、一緒に読んでみたい方も募集していますし、それ以外にもネット上での意見交換も歓迎です。
この本を読み進めることにしています。

希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)

希望の原理 第一巻 (白水iクラシックス)

  • 作者: エルンスト ブロッホ
  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2012/11/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


僕自身は、未だ直感の域を出ませんが、ワイマール期のドイツと大正期の日本を省察していくことが希望の未来を創り出す礎になるのではないかと思っています。
その直感はおそらく大学時代にドイツ文学を専攻し、特に卒業研究でワイマール期ドイツにおけるジャーナリズムを取り扱った経験からもきていると思いますし、その同時代の知識人たちの動向や、その中にまたイエナプラン教育の理念を確立したペーター・ペーターセンの意志と本質が見え隠れしていることからきていると思います。そして、僕にとってはまだ全然深めていないけれど、大正期の日本の文化人たちの動向と政治局面に日本の希望ある未来像があるのでは、といううっすらとした現実夢想の願望もあると思います。

なお、継続を重視していきたいので、内容については長々と書かず、引用メモ的なものを中心になるかと思います。深める作業は大して出来ないと思います。
思うところのある方はコメントなど自由に書き込んでください。

「」部分は本文の引用です。

▼日本語版によせる序言(1973年1月)
「憧憬は、すべての人間のそなえている唯一まっとうな属性である。むろんその内容には、きわめて多様な価値があるにしても。」(P.3冒頭文)

「希望の原理の根本思想は、歴史の中に生まれ育ってきた、よりよい生活をもとめる願望のさまざまなイメージこそ、すべての国々の革命的な運動において原動力としてはたらき、さらにそれを前へとおし進めてきたものであり、そしてまた、十九世紀の産業革命から生まれたテクノロジー的産業資本主義を、その泥を掘りかえしてはそれを乗り越えようとする社会主義と、たえず止むことなく対決させているところのものなのだ、ということである。」(P.3)

〈希望の原理〉検証方法と基準の開陳
基礎的な論述と世界過程の諸傾向・歴史過程の諸傾向から生まれる発見があいまって〈希望の原理〉の検証方法と基準を開陳する

「基礎的な論述(これは、情動の内容と検証することのできる客観性・実在的可能性とのあいだの、主観的先取りの見通しと客観的目的傾向とのあいだの、たがいに合流し媒介しうるものであることを説明している)の配列を追って、さまざまな願望像を通覧すれば、それは他のすべての文化の特殊な願望内容にわたって拡大することができる。そのばあい、本文に指示されているように、特に願望内容のなかに含まれている反動的なものを前向きの指標から切り離す作業として、検証しつつ変形することをつねに怠ってはならない。」
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「世界過程と歴史過程の諸傾向についても論じられる。この傾向とは新事象を世界に可能にするのである。さらに、人間ー主体というファクターが論じられる。この主体こそつねに傾向を助けてまず飛躍へと向かわせずにはいないのである。」
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「非同時性およびそれが意味深く告げているもの、すなわち過去からまだ差引勘定となっていない未清算のものが、まさに日本の現在にとって重要なのではないだろうか。」(P.5)

非同時性についてはこちらで論じられている

この時代の遺産

この時代の遺産

  • 作者: エルンスト ブロッホ
  • 出版社/メーカー: 水声社
  • 発売日: 2008/12
  • メディア: 単行本


この論究をリードするカテゴリー、〈可能性とその客観的実在性は詳細な表現を経験した〉
→この意図は
「可能性を抑圧し沈黙させることがついに終わって、可能性を通してひらかれているものが、ついには決然として哲学することのなかに入ってくるように、ということなのである。」(P.5)

▼考察
序言部分なので考察ではありません。が、今後考察のカテゴリーを入れていきたいと思います。
マルクス主義からの比較検証などは〈まえがき〉や〈解説文〉のときに行われています。
僕は哲学の研究者ではないので、深く追究することはできないし、そこに意図をもたないので言及もしてはいかないつもりです。

純粋に〈希望とは何か〉をこの本と共に見出していきたい。情動的な人間である僕がこの本を読み進めようと思ったのはそれこそ衝動でしかありませんが、あえて言うなればこれが目的です。
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