「希望の原理」第1回読書会 [読書会]
この読書会は現在一人で読み進めているものですが、一緒に読んでみたい方も募集していますし、それ以外にもネット上での意見交換も歓迎です。
この本を読み進めることにしています。
僕自身は、未だ直感の域を出ませんが、ワイマール期のドイツと大正期の日本を省察していくことが希望の未来を創り出す礎になるのではないかと思っています。
その直感はおそらく大学時代にドイツ文学を専攻し、特に卒業研究でワイマール期ドイツにおけるジャーナリズムを取り扱った経験からもきていると思いますし、その同時代の知識人たちの動向や、その中にまたイエナプラン教育の理念を確立したペーター・ペーターセンの意志と本質が見え隠れしていることからきていると思います。そして、僕にとってはまだ全然深めていないけれど、大正期の日本の文化人たちの動向と政治局面に日本の希望ある未来像があるのでは、といううっすらとした現実夢想の願望もあると思います。
なお、継続を重視していきたいので、内容については長々と書かず、引用メモ的なものを中心になるかと思います。深める作業は大して出来ないと思います。
思うところのある方はコメントなど自由に書き込んでください。
「」部分は本文の引用です。
▼日本語版によせる序言(1973年1月)
「憧憬は、すべての人間のそなえている唯一まっとうな属性である。むろんその内容には、きわめて多様な価値があるにしても。」(P.3冒頭文)
「希望の原理の根本思想は、歴史の中に生まれ育ってきた、よりよい生活をもとめる願望のさまざまなイメージこそ、すべての国々の革命的な運動において原動力としてはたらき、さらにそれを前へとおし進めてきたものであり、そしてまた、十九世紀の産業革命から生まれたテクノロジー的産業資本主義を、その泥を掘りかえしてはそれを乗り越えようとする社会主義と、たえず止むことなく対決させているところのものなのだ、ということである。」(P.3)
〈希望の原理〉検証方法と基準の開陳
基礎的な論述と世界過程の諸傾向・歴史過程の諸傾向から生まれる発見があいまって〈希望の原理〉の検証方法と基準を開陳する
「基礎的な論述(これは、情動の内容と検証することのできる客観性・実在的可能性とのあいだの、主観的先取りの見通しと客観的目的傾向とのあいだの、たがいに合流し媒介しうるものであることを説明している)の配列を追って、さまざまな願望像を通覧すれば、それは他のすべての文化の特殊な願望内容にわたって拡大することができる。そのばあい、本文に指示されているように、特に願望内容のなかに含まれている反動的なものを前向きの指標から切り離す作業として、検証しつつ変形することをつねに怠ってはならない。」
「世界過程と歴史過程の諸傾向についても論じられる。この傾向とは新事象を世界に可能にするのである。さらに、人間ー主体というファクターが論じられる。この主体こそつねに傾向を助けてまず飛躍へと向かわせずにはいないのである。」
「非同時性およびそれが意味深く告げているもの、すなわち過去からまだ差引勘定となっていない未清算のものが、まさに日本の現在にとって重要なのではないだろうか。」(P.5)
非同時性についてはこちらで論じられている
この論究をリードするカテゴリー、〈可能性とその客観的実在性は詳細な表現を経験した〉
→この意図は
「可能性を抑圧し沈黙させることがついに終わって、可能性を通してひらかれているものが、ついには決然として哲学することのなかに入ってくるように、ということなのである。」(P.5)
▼考察
序言部分なので考察ではありません。が、今後考察のカテゴリーを入れていきたいと思います。
マルクス主義からの比較検証などは〈まえがき〉や〈解説文〉のときに行われています。
僕は哲学の研究者ではないので、深く追究することはできないし、そこに意図をもたないので言及もしてはいかないつもりです。
純粋に〈希望とは何か〉をこの本と共に見出していきたい。情動的な人間である僕がこの本を読み進めようと思ったのはそれこそ衝動でしかありませんが、あえて言うなればこれが目的です。
この本を読み進めることにしています。
僕自身は、未だ直感の域を出ませんが、ワイマール期のドイツと大正期の日本を省察していくことが希望の未来を創り出す礎になるのではないかと思っています。
その直感はおそらく大学時代にドイツ文学を専攻し、特に卒業研究でワイマール期ドイツにおけるジャーナリズムを取り扱った経験からもきていると思いますし、その同時代の知識人たちの動向や、その中にまたイエナプラン教育の理念を確立したペーター・ペーターセンの意志と本質が見え隠れしていることからきていると思います。そして、僕にとってはまだ全然深めていないけれど、大正期の日本の文化人たちの動向と政治局面に日本の希望ある未来像があるのでは、といううっすらとした現実夢想の願望もあると思います。
なお、継続を重視していきたいので、内容については長々と書かず、引用メモ的なものを中心になるかと思います。深める作業は大して出来ないと思います。
思うところのある方はコメントなど自由に書き込んでください。
「」部分は本文の引用です。
▼日本語版によせる序言(1973年1月)
「憧憬は、すべての人間のそなえている唯一まっとうな属性である。むろんその内容には、きわめて多様な価値があるにしても。」(P.3冒頭文)
「希望の原理の根本思想は、歴史の中に生まれ育ってきた、よりよい生活をもとめる願望のさまざまなイメージこそ、すべての国々の革命的な運動において原動力としてはたらき、さらにそれを前へとおし進めてきたものであり、そしてまた、十九世紀の産業革命から生まれたテクノロジー的産業資本主義を、その泥を掘りかえしてはそれを乗り越えようとする社会主義と、たえず止むことなく対決させているところのものなのだ、ということである。」(P.3)
〈希望の原理〉検証方法と基準の開陳
基礎的な論述と世界過程の諸傾向・歴史過程の諸傾向から生まれる発見があいまって〈希望の原理〉の検証方法と基準を開陳する
「基礎的な論述(これは、情動の内容と検証することのできる客観性・実在的可能性とのあいだの、主観的先取りの見通しと客観的目的傾向とのあいだの、たがいに合流し媒介しうるものであることを説明している)の配列を追って、さまざまな願望像を通覧すれば、それは他のすべての文化の特殊な願望内容にわたって拡大することができる。そのばあい、本文に指示されているように、特に願望内容のなかに含まれている反動的なものを前向きの指標から切り離す作業として、検証しつつ変形することをつねに怠ってはならない。」
「世界過程と歴史過程の諸傾向についても論じられる。この傾向とは新事象を世界に可能にするのである。さらに、人間ー主体というファクターが論じられる。この主体こそつねに傾向を助けてまず飛躍へと向かわせずにはいないのである。」
「非同時性およびそれが意味深く告げているもの、すなわち過去からまだ差引勘定となっていない未清算のものが、まさに日本の現在にとって重要なのではないだろうか。」(P.5)
非同時性についてはこちらで論じられている
この論究をリードするカテゴリー、〈可能性とその客観的実在性は詳細な表現を経験した〉
→この意図は
「可能性を抑圧し沈黙させることがついに終わって、可能性を通してひらかれているものが、ついには決然として哲学することのなかに入ってくるように、ということなのである。」(P.5)
▼考察
序言部分なので考察ではありません。が、今後考察のカテゴリーを入れていきたいと思います。
マルクス主義からの比較検証などは〈まえがき〉や〈解説文〉のときに行われています。
僕は哲学の研究者ではないので、深く追究することはできないし、そこに意図をもたないので言及もしてはいかないつもりです。
純粋に〈希望とは何か〉をこの本と共に見出していきたい。情動的な人間である僕がこの本を読み進めようと思ったのはそれこそ衝動でしかありませんが、あえて言うなればこれが目的です。
2015-06-09 10:11
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